楽歴・その他
生田流 地歌箏曲 宮城社 南海佳子
生田流 箏・三絃・十七絃・宮城胡弓 演奏家
1974年生まれ。
6歳より箏、8歳より三絃を始める。
千葉県流山市出身。
箏・三絃を宮城社大師範金津千重子氏に師事。
宮城胡弓を故中井猛氏に師事。
1980年 名古屋市の生田流正絃社黒宮順子氏の許へ入門。箏・三絃を習い始める。
1982年 引越により我孫子正絃社藤井清美氏の許へ転門。
1985年 東京藝術大学を目指す決意をする。
1989年 全国小中学生箏曲コンクール(福山)にて《祭の太鼓》を演奏し2位受賞。
1991年 全国高校生邦楽コンクール(岡山)にて《五段砧》低音を演奏し2位受賞。
1993年 東京藝術大学音楽学部邦楽科に入学。
1995年 正絃社準師範取得、おこと教室を開軒。
明治大学三曲研究部の講師補助として出稽古を始める(以後10年間)。
1996年 学校より常英賞を受賞。
学内演奏会にて《水の変態》を演奏、助演に遠藤千晶氏。
卒業演奏会にて《残月》を演奏、助演に佐藤紀久子氏。
1997年 同大学卒業。
宮城会コンクールにて3位受賞(同級生と5人で《吾妻獅子》三絃本手替手演奏)、
千葉県新人演奏会に同級生と二人で《五段砧》演奏。
流山市新人演奏会で演奏。
流山市文化協会邦楽三曲会に入会。
1998年 東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程入学。
在学中、学内芸術祭にて《越天楽変奏曲》独奏箏を演奏。
ウィーンフィル首席クラリネット奏者オッテンザマー氏と《春の海》共演。
野村正峰作品集、レコーディングに参加。
2000年 同大学大学院修了。
修士論文は「《夜々の星》について」。
修士演奏(学位審査会)では《夜々の星》箏を演奏、助演は岡村慎太郎氏へ依頼。
総理府主催「国民の祝日を祝う会」に参加(以後2回)。
大学院修了後、同大学邦楽科非常勤講師(助手)を一年間務める。
【藝大在学と助手の7年間、以下の先生方に師事(年度順、敬称略)】
矢崎明子・森千恵子・芦垣美穂・深海さとみ・藤井久仁江(人間国宝)・安藤正輝・大浦美紀子・松島里枝・新宮順子・牧瀬裕理子・野坂恵子・下平波留美・林幸子・牧野由多可(合奏研究)・中井猛(関連箏曲)
山口五郎(人間国宝、琴古流尺八)・山本邦山(人間国宝、都山尺八)・三古谷裕(山田流箏曲)・亀山香能(山田流箏曲)・芝輔靖(雅楽)・恩田亘(日本舞踊)
山田流箏曲・組歌・日本舞踊・琴古流尺八・雅楽(篳篥)・フルート・江戸太鼓・沖縄三線を副科で履修。
2001年 手の病気を患い4年ほど演奏活動停止。
就職して3年程勤め、結婚出産を経て、子育ての傍ら弟子の育成に励む(詳細は下記の個人プロフ参照)
2005年 社中の公開勉強会「お弾き初め会」「ゆかた会」を年2回開催し、以降継続(~現在。)
2006年 池上眞吾作品集CD③「秋・冬コレクション」レコーディングに参加。
NHK邦楽オーディション合格。NHK-FMラジオ放送「邦楽のひととき」出演。
「第一回南海佳子箏・三絃リサイタル」開催。(亀有リリオホールにて)
2007年 実妹の景子と「姉妹会」開催。(日暮里サニーホールコンサートサロンにて)
池上眞吾氏に新曲委嘱し《海を讃えて》(十七絃独奏)を初演。
2008年 合奏に出掛けられない機会に独奏の勉強をすべく、ソロコンサート「真夏の夜のコンサート」開催。
(日暮里サニーホールコンサートサロンにて)、助演に池上眞吾氏へ依頼。
2009年 「真夏の夜のコンサートin南流山」を開催(南流山センターホール)、
以降、子供の手が離れるまで夏休みに地元開催。助演に尺八白鳥良章氏へ毎年依頼。
2010年 フジテレビ「さらい屋五葉」BGMにて十七絃をレコーディング、放送。
2011年 箏曲宮城社へ転門。教師まで取得。
2012年 同門の4人で「よいろの会」開催(以降2回)。
つくば線沿線芸大生によるユニット「箏エクスプレス」開催(以後2回~現在)。
2013年 日本伝統文化振興財団邦楽オーディション合格、
その記念としてビクターよりCD「生田流箏曲南海佳子」を制作くださり、発売に至る。
2015年 日本三曲協会主催公演(紀尾井ホール)に出演。
2016年 明治大学三曲研究部を師匠より引き継ぎ、専任講師となる(~現在)。
国立劇場主催公演「明日を担う新進の舞踊邦楽演奏会」に《五段砧》で出演。助演に日吉章吾氏依頼。
2017年 国立劇場主催公演「夏目漱石の世界」にて演奏。《唐砧》三絃演奏。
箏曲宮城社師範を取得。
2018年 流通経済大学付属柏高校箏曲部を前任菅田氏より引き継ぎ、専任講師となる(~現在)。
現在・・・
箏・三絃・十七絃・宮城胡弓の演奏家として活躍し、助演活動も多い。
千葉県流山市南流山の稽古場にて、門下生の指導や舞台の機会を作り育成に励む。
明治大学三曲研究部講師。
流通経済大学付属柏高校箏曲部講師。
毎年秋~冬に、市内小学校15校の5年生邦楽鑑賞体験教室の講師(流山三曲会として)、並びに、市内小学校3校の4年生邦楽鑑賞教室の講師(社中として)。
日本三曲協会、藝大卒業生の会森の会、重音会、流山市文化協会邦楽三曲会、等所属。
楠和会主宰。
よくある質問
お箏を始めたきっかけは?
幼少の頃、父の異動で名古屋で過ごしておりました。
私はいろんな事に興味があったのですが、友達がピアノを習っていたので、「私もピアノを習いたい!」と親にねだりました。
しかし当時は社宅に住んでおり、母に「ピアノは置く場所がない、お箏だったら立てて置けるからお箏にしなさい」と言われ、「お箏って何?」と思いながらも教室を探しに家族で散歩しました。
当時の名古屋は、散歩の距離で3軒のおこと教室がありました。
3軒目に門を叩いた先生(正絃社黒宮先生)が私はとても好きになり、その場で道具一式揃えて頂いて、入門決定。
毎週のお稽古がとても楽しみで、幼稚園生でしたが一人でバスで通えるようになりました。
いつもにこにこ笑顔の先生も、先生のお宅での様々なイタズラ(遊び?)も、お箏の音も、楽しい曲も、全てが好きでした。一週間で一番楽しみな時間でした。思い返してもこれらの楽しい経験が今も音楽を続けて教えている原点になっているかと思います。
楽器はいくらしますか?
どの楽器でもそうだと思いますが、ピンキリです。
お箏の場合、これから新品一式購入の場合は、10万円程でしょうか。
(購入しても続くかどうか不安な方には、レンタルも行っております。)
ある程度上手になると、2~30万円台の”上角”もよいです。演奏会や発表会に対応出来ます。
もっと上のクラスでは、舞台用”繰甲”になります。60万円くらい~数百万円です。
装飾品や細部で高価な素材を使用するとその分値が上がります。
箏爪は、1セット(爪3つ爪の輪3つ)で、5000円前後~ございます。
お三絃も段階があり、稽古用の”花梨”・その少し上の”紫檀”、最上級の”紅木”、と、棹の材料で格が変わります。
また、胴に張る皮の材質によっても変わってきます。
撥も材質によりますが、プラスチック・アクリル・鼈甲・・・など素材によって変わります。
プラスチックの撥とその他小道具(指掛け、膝ゴム、替えの糸数本など)揃えて8000円程です。
個人の性別年齢はもちろん、性格や体格、やりたい曲のジャンルによってこちらで見極めてオーダー出来ますので、一度ご相談下さい。
どんなお稽古、どんな教室ですか?
南流山の稽古場での個人指導です。
演奏会前には、出演者が集まって合奏リハーサルを行ったりもします。
演奏会の出席はその都度参加の可否を伺ったうえで曲目やパートを決めています。
稽古をする上での私のモットーは、”メリハリ”です。
やるときはやる、抜くときは抜く、メリハリのある稽古を心掛けています。
箏に向かうにあたってのある程度のマナーをはじめ、個人の要望に沿った稽古を心掛けております。
趣味でたしなみたい方からプロを希望する方まで、また、稽古のペースも月1から毎週など、時間固定でもその都度でも対応しております。
ただ初心の方は暫くの間は毎週来られることをお勧めします。
相談の上で決めておりますのでご遠慮なくお申し出ください。
現在の門下生は22名ほどで、年代も10代~70代??様々です。
3歳くらいから教えられます。
現在、コロナの影響で、オンライン稽古も実施しております。
ご希望の場合はご相談下さい。
また、出張稽古もご相談の上承ります。
伝統を受け継ぎ、人前で弾いて恥ずかしくない演奏を目指しているため、稽古で求めるものは厳しいですが、一緒に楽しく熱中した時間を過ごし、ついでに上手になるような、集中した充実の稽古を志しております。
私にとってお弟子さんは家族の様に大切な存在です。
男性も2名在籍。明るく賑やかでパワフルな家族だと思います!
私自身について
お箏を少し脇に置いといて・・・公のプロフィールには登場しない個人のプロフィールです。
いままでの習い事、始めた順に並べると、
水泳、絵画、お箏。
引越時に「水泳かお箏か」で親に選択を迫られ、「お箏!」を選んで、今の人生があります。
水泳は、大人になってから再開し10年以上続いています。
学歴 幼少から順を追って・・・。
★名古屋女子大学付属幼稚園★
(年中、年長の2年間バスで通園。)
(在園時、愛知県から健康優良児として選ばれ表彰を受ける)
その後、
名古屋市立八事東小学校、名古屋市立平針小学校、松戸市立八ヶ崎小学校、
を経て、4年生より
★流山市立南流山小学校★
(児童会と学級委員を毎年務める)
(読書感想文、書星会書初め、絵画コンクール入賞)
(小5~6陸上部に所属、市内陸上大会に高跳びの選手として出場)
(ピアノが上手な同級生の影響で藝大を知り自分も目指す決意をする!
ちなみにその子はピアニストになりドイツに永住してます!)
★流山市南流山中学校★
(生徒会と学級委員を何故か毎年務める・・)
★千葉県立小金高等学校★
(合唱部に所属も幽霊部員・・)
(練習時間確保のため自転車で通える高校に入学出来たものの、、、
授業に付いていけず担任の先生や友達に多大な迷惑を掛けながら何とか卒業できました)
(宿題と受験勉強は、朝や休み時間に友達に訊きながら終わらせて、
学校から帰宅後は16~23時頃まで毎日練習三昧でした。)
★東京藝術大学 音楽学部 邦楽科 生田流箏曲専攻★
(入試は、①センター試験(国・英)
②実技一次試験(自由曲《みだれ》演奏)
③実技二次試験(課題曲選択曲《御山獅子》《五段砧》本手、を演奏
④三次試験(楽典・面接)
・・・と、3月下旬まで受験が掛かり健康維持が大変でした。倍率10/48でした)
在学中は想像を絶する忙しさと半端ない緊張感の毎日で痩せすぎに・・・
在学2年次に、おこと教室開軒。お弟子さん2名からスタート。
在学4年次に、学校より常英賞を受賞。
★東京藝術大学大学院 音楽学部音楽研究科 修士課程 生田流箏曲専攻★
(入試は、箏《尾上の松》三絃《七小町》、倍率1/8でした)
(修士論文は「《夜々の星》について」。楽曲分析と、八重崎検校風箏手付を作譜したり。)
(入院中(という表現をしていました笑)のこの2年間は、今までで一番充実した学生期間でした。
勉強も、舞台も、習う身教える身としても。)
退院後(大学院を修了後)、同大学邦楽科非常勤助手として1年間、邦楽教官室に勤務。
学部4年生や大学院生の助演を務める事だけでも大役ですが、
専攻の常勤・非常勤の先生方のお手伝い、
邦楽科全体の助手として書類作成、ホール取り、レッスン調整、邦楽研究室の管理、
試験時や入試時の監督、助手、などなど、
片手指では足りない用件数を常時抱えるハードワークに徹しました。
その後、
複合的な要因で手(右手首)の病気を患い、気が付いたらコップも持てなくなり・・・
きっぱりとお箏の世界から離れてOLとして働いてみる決意をする。
以下、
音楽しかない自分でも、普通に社会で適応出来そうと確信できて以来、
もしまた箏曲人生が途絶えた時の保険の意味と、金銭的に稼ぎたい・楽器を買いたい、のと、
楽器を持たない自分こそ自分らしく、舞台に立たなくても輝ける人間でありたい!
・・という複合的な野望から、
お箏以外も(可能な範囲でですが)副業を持ち続け、
そのうちに、南海と本名を使い分ける自分が楽しくなり、
その両名が良きライバルとして張り合う自分の中の二人が楽しくなり、
・・・現在に続く、
という、言葉通り典型的な双子座を発揮中。
本名の自分が定年まで、これが続けられたら最高ですね!!楽しく頑張ります。
職歴
・・・という経緯で、手を患ってからの職歴です。
★日立製作所健康保険組合にて、事務と秘書を3年ほど勤める
(日勤週5で月末は残業付き、会社のイベントも参加して正真正銘OLしました!)
★河合塾受付センターにて、電話による申し込み窓口業務
(妊娠中含めて1年半、週3日の勤務)
・・・きっぱりお箏を離れた成果か、手も少しずつ回復し、撥を握って居られるようになったので、
(でもまだ糸に撥を当てる等コントロールは出来ない状態)
子育ての合間に弟子の育成を本気で考え始めました。
人前で演奏できなくても芸を繋げる仕事はしなくてはいけない、と強く思うようになりました。
以下からは、子育てと稽古の合間の仕事です。
お箏は割と弾けるようになりましたが、合わせ爪など握る動きが厳しかったです。
三絃については少しずつ撥が当たれるようになりました。
左手指は達者に動くのに撥が振れなくて弾けないのは何とももどかしかったです・・・!
★大手パン工場内で製造業務
(立奏台など備品を揃えるために夜勤単発からスタートし、その後も単発で数か月入りました。
総菜パンの具を乗せたり、ロールケーキのカステラ焼いたり、柏餅を柏の葉でくるんだり。)
★運輸会社倉庫にて海外アパレル商品の入出荷作業
(娘が小学校高学年になった頃、週2で勤務、2年ほど。
様々な高級ブランド物を扱い、JPタグ縫ったり検針したり福袋も作ったり。)
★電力会社のカスタマーセンターにて電話受付
(研修に1か月半掛かる大変さでしたが、勉強になる事が多く頑張りました。
が、結果的には挫折?!)
★テレビショッピングの注文受付や問い合わせの受電
(とてもしっかりした会社で職場環境も最高に良く、活気があって楽しかったです。
社割で買いすぎました笑。
しかし通勤ラッシュの疲労と、座りっぱなしの肩こり・頭痛ひどく、
舞台の重さや日程の兼ね合い等で、娘の受験を機に2年半で退職を決意。)
★2019/6~現在・・・大手運輸会社での温度管理、仕分け作業
(夜間のパート社員として入社。週5です。半端に働かず毎日の習慣にしてしまえー!の考えから。
自分の中での社会貢献度が今までで一番高い仕事です。
また、一緒に働く仲間にも恵まれ、出会いやご縁に感謝感謝!
素の自分を受け入れて貰える、なくてはならない場所となりました。
ちなみに娘もパートとして同じ仕事をしています。その待遇にも心より感謝です!)
どちらの私も、私ですが、
服装、言葉遣い、考え方、いろいろ使い分けてはいますが、
本性の根っこの部分の私は変わらないです。
その変わらない部分は良くも悪くも個性として認めて、演奏に繋げていけたらと思っております。
どちらの私も、今後とも末永くどうぞよろしくお願い申し上げます。
その他いろいろ
明大三曲のプロフ帳(非公開)で訊かれた内容から抜粋・・・
あだ名は? → なんちゃん・よしこさん
兄弟は? → 弟・妹・妹
得意なことは? → 水泳、直感が当たる、曲を覚えること
苦手なことは? → 機械全般、歌詞を覚えること!
休みの日は何をしている? → 時間の限り寝てます笑
よく行く場所は? → サンマルク大好きです!!
好きな食べ物は? → なんでも好きです。
嫌いな食べ物は? → 南国フルーツはアレルギーぽく苦手です。
子供の頃の将来の夢は? → おことの先生
好きなお酒 → 地元流山のゆず酒は最高です。
行ってみたい場所 → もう一度沖縄に行って海に潜りたい。
座右の銘 → 人生一度きり
みんなにオススメしたいもの → アサイー黒酢を牛乳で割る!すごくおいしいです。
好きな芸能人など → XのYOSHIKIさん。全てが完璧!もう一人いますが秘密です。
楽器以外でやりたいこと → これは一生無理だと思いますが、インラインスケート靴を履いて風を切りながら土手を海に出るまで走りたい!!
お箏やっている以上、転ぶと間違いなく骨折級ですから永遠に叶いそうもない夢です・・・
和楽器をやっていて思い入れのある曲は? → 院2の芸祭で《越天楽変奏曲》ソロを弾かせて頂いた事。
先生にとって和楽器とは何ですか? → 一生の相方
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